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「シリアル」のお話②

前回に引き続き「シリアル」についてのお話です。

日本では大正末期までにはケロッグもクエーカーオーツも輸入されていたようだが、一般になじみがあるものではなかったそうです。

昭和3年には日本食品製造の戸部氏が、札幌で道産の燕麦やとうもろこしを原料にオートミールの製造法を完成、コーンフレークの国産化にも成功し、昭和5年に日本で発売スタートしたらしいです。

そして、本格的なコーンフレークの工業生産は「シスコーン」で知られるシスコに始まります。

昭和30年頃にシスコはアメリカの一般的な朝食メニューになっていた冷たい牛乳をかける「コーンフレーク」に注目したそうです。

昭和38年に日本で初めてのコーンフレーク工場を完成し、国産シリアルが食卓へ上がることになり、製品の名称はシスコのコーンフレークということで「シスコーン」と命名。

 

パッケージはアメリカの穀倉地帯を連想させる可愛いアイドルをという意見からインデアンの子供をデザインされたそうです。

これが「シスコーン坊や」です!!

当時の人気月間少年雑誌「少年」の昭和39年6月号には、「シスコーン」は20円と100円の2種で「ビックリおまけつき」だったそうです。

知らないことばかりで、とても勉強になりました。

続きは、次回をお楽しみに。