今回は前回に続きキャンディのお話です。

戦後、キャンディメーカーは次々と産声をあげる事になります。昭和21年に現在のパインの前身、業平製菓が創業。社名の由来は先代が創業したのが東京都墨田区業平橋であったことに由来しているのだそうです。昭和24年には「パイン飴」を発売。パイン飴の開発については、当時はパイナップルの缶詰が非常に高価な食べ物でありましたが、これを庶民の夢をかなえるものとして1粒1円でお客様に提供したい!という想いから商品化に繋がり、大人気の商品となりました。最初は穴が開いていなかったそうです。

昭和24年には味覚糖が創業。ノーベル製菓が「ノーベル」の商標を得たのもこの年です。なぜ「ノーベル」なのかというと、昭和24年に湯川博士が日本人初のノーベル賞受賞者となり、日頃から博士と親交のあった同社の創業者、藤澤長治がノーベル賞にちなんで「ノーベル」と商標を登録したのだそうです。

へぇ~。

昭和25年に戦前は兎印のドロップを販売していた高津製菓が設立され、「扇雀飴」を発売、大ヒットします。歌舞伎の名門成駒屋、中村扇雀が自ら命名したそうです。

同年2月には黄金糖が創業し、「黄金糖」を発売。春日井製菓も「ゼリービーンズ」・「チャイナマーブル」を発売。

この年は後藤製作所がキャンディのひねり包装機械の国産化に成功し、キャンディの大量生産が可能になったため、キャンディ業界が一気に活気づいた年でもあります。

昭和29年には紙の棒がついた「ポップキャンディ」を不二家が発売。カルビーも「バターボール」を発売するなど、ちょっとリッチなバターボールが人気の時代でもありました。あのカルビーが!?

同年に「カンロ玉」をカンロが発売。醤油を入れた醤油飴という画期的なアイデアでした。

また、子どもが誤飲しても大丈夫なチューイングガムが欲しい!というお客様からの声に応え、昭和31年には森永製菓が「チューレット」を発売(後に「ハイチュウ」と改名)

昭和45年に明治は英国のバタースカッチを見本に「チェルシー」を発売。

昭和47年にはサクマ製菓より「噛んで食べる飴」として「いちごみるく」が発売されます。

昭和49年にはロッテの「小梅」が発売。すっぱい飴が受け入れられ、大人気。

昭和55年には従来の袋入りから、キューブ型にスティック包装した飴が現れます。ワーナーランバートが関東地区で発売した「ホールズ」です。メントールの刺激でのどをスッキリさせ、気分もリフレッシュさせるというコンセプトで、ビジネスマンや男子学生をターゲットにしました。このスティックタイプ包装の成功で、キャンディは販路を駅売店・コンビニに広げ、コンパクトさで陳列ラックなどに並べやすくなり、一気に売場に普及していくことになりました。

さて、今日はここまでです!

次回はグミキャンディ。今、子どもから大人まで大人気のグミが市場に出現してきます。現在のグミの市場の規模など含め、次回皆様にお伝えしていきたいと思います。

ありがとうございました!